アートホリデー

今日は、

に行ってきました。
隙あらばBunkamuraのベルギー象徴派展とか損保ジャパン美術館にもいきたかったのだけれど、時間的&体力的にムリでした。
いろいろ行きたいのですが、いろいろ考えると無理くさいのでベルリンの至宝展は切るッ(何
 
つーか、どっちの美術館も不便なとこにありすぎ。。
世田谷のほうは砧公園(これをきぬたこうえんと呼ぶ事は今日知った)の中にあるので、用賀っちゅう駅で降りるのですが
これがねえ。東急田園都市線の駅なわけよ。つまりガオカで大井町線に乗ってからニコタマでもっかい乗り換えないといけないわけですよ。
三鷹のほうは名前通り三鷹にあるわけで、新宿から中央線で終点までいくわけですよ。
 
ウナセラのほうは、1930年ごろから1990年ぐらいまでの東京の写真を見ようというわけなのでした。
戦前の東京というのは懐古趣味や近代文学のなかだけじゃなくて、何十年か前にほんとうにそこにあったのだなあ、とか、
貨幣というものが発明されてから人間の多くの欲望(あるいは単に欲求)はそれによって代弁されてきたのは事実なのだろうけれど、
それにしてもこれらの写真にあらわれる「お金を使って下さいよ〜」という誘惑は、それはその時代の人々がそういうのを求めてるってことなんだろうけど、
なんだか華やかでおおらかで需要者と供給者において相互浸透的というか、なんかいい感じだったのだなあ、とか、
まあいろいろそんなようなことを実感させられる展示会でした。
 
あとは所蔵品展のほうも面白かったです。
村井正誠という人の作品をいろいろ展示していました。
白をバックに原色に近い色彩を構成主義的に用いた画面の上に(それだけでも成立しそうなもんだけど)黒の主線で有機的な形態を浮かび上がらせた、という感じの人でした。
大画面に大胆な色彩、自由な黒の主線ときたら「強い生命力を感じる」とか「躍動感に溢れた」とかの評論がつきそうなもんなんだけど、この人の作品からは不思議な冷静さというかインテリ感というか、「生命ってスゴイ!偉い!」的な意見への懐疑のようなものの印象を受けるのです。
絵画作品ではないんだけど、「自画像」と題して、でっかい穴が開いてワクみたいになった長方形(たぶん体)の上にちょっと小さい穴の開いた長方形(たぶん頭)をくっつけて、でかい長方形に足をつけたような鋳造体のようなものがあったんだけど、
それ見たらこの人はなんでこんなふうに人間を空洞化させられるんだろうと思ったのですよ。
ううむ。思いがけず考えさせられてしまった美術館だったです。
 
クールベのほうは、とにかく遠かった(何
ギュスターヴ・クールベという人は印象派のさきがけとなったんだぞと言われているんですが、ていうかもう印象派でした。
ただ、一般的にいう印象派の人々は画面全体を印象派風にするのですが、
クールベの多くの画面にはなんというか着目点みたいのが存在して、そこを中心に写実から印象へと拡がっていくようすが独特の緊迫感というか、そういうものを生み出してたように思います。
とくに「ブレーム川の滝」という、滝とその前にたたずむ牡鹿、みたいな作品があったんですけど
それも鹿に着目点を置いて鋭い水の流れと鹿の静かな姿を中心に視界が広がっていく、みたいなのがとてもしゃっきりとして良かったです。
しかし遠かったなあ(何