世の中の騙されている人々に告ぐ。

人は言う。
自己を高め、自己の理想を実現せよ。
社会の幸福がため、より優れた者となり、
より優れた物を生み出すべし。さすれば汝幸福たるべしと。
でもそんなの、おれから言わせてもらえば騙されてるんだよと。
キャリアだとか自己実現だとか、成功体験とか生きがいとか、
そんなもの、苦しくて苦しくて生きていたくないけど、
死ぬのは怖い。死にたいというのが怖い。だから生きなきゃいけない。
何かの幻想にすがってでも。というような、
社会に精神的に虐げられている人が無から生み出した、
いわば真空を証券化した商品でしかないでしょって。
そんなものがなくても、ただ普通に生きていられるのが幸福な社会なんじゃないの。
お金が欲しいなーと思って、お金のために働く。
そのうえで働くことがおもしろければ、さらに丸儲けだねっていうのがさ(もちろん逆もありうる。
おもしろいことがしたい。それでさらにお金が入れば丸儲け、という構造もありうる)。
ただ生きることができる。なにに頼らなくとも、今日が始まって明日が来ることをそのまま受け入れることができる。
それが不可能な社会は不幸だ。
 
なんで会社は成長し続けなければいけないのか?それは株主がうるさいから。
なんでうるさいのかといえば、そもそもが「いまお金を貸してくれたら、そのうちどかんと返します!」とかいう無茶な約束が元凶だよね。
いろんな部分がスカスカだった百年前ぐらいはそれで通用したのかもしれないけど、
いまはもう、はっきり言って飽和してるよね。約束と虚飾と金利が飽和してる。
昔は鉄とか、土地とか、そういうものを喰い合ってた。
それがだんだん人だとか、人の時間を喰い合うようになってきて、
もうそろそろ人間の夢、精神、信条とかのフィールドに戦いは移行している。
昔、どこかの土地を押さえなければ会社が即死だったように(ほんとうにそんなことがあったのかは知らないけど)、
いまは、人間の精神を抑えそこねた会社は即死する時代になってしもうた。
だからみんながお互いの精神にがっちり食いついてめちゃくちゃになっとる。
人類の進歩と調和。そんなの糞くらえだ。いや、調和は必要だな。
たとえば医療。
医療の究極系は、人類が不老不死になること。このままパラダイムシフトがなければね。
でも、そんなことが実現したら、いろんなものがめちゃくちゃになって、
でも死ねない人類は、泥濘の中を這うゴミ虫のような生を余儀なくされるだろう。ということは一発で想像できる。
絶対今の方が幸せでしょ。
昔は、ちょっと腸チフスが流行れば街が全滅、とか、ほんとうに人類がいなくなっちゃう危険があった。
今はどうか?とてもそんなことはありそうに思えない。映画の題材になるぐらい、それは架空の話なのだ。
ここらでいいんじゃないの。風邪にかかって死ぬのはいやだけど、ガンになったら死んでもあきらめはつくでしょ。
たとえば科学技術。
新幹線のせいで、昔は泊まりがけでいってた出張も日帰りになってしもうた、忙しくていけねえや。
という話はよくありすぎてもう誰の心にも響かないのかもしれないけど、
そんなソフィスティケートされた人達にこそ、便利な社会=幸せな社会じゃあもうないでしょ、ということはわかってもらえると思うんだ。
便利になりたいの?んん、我々は幸せになりたいのだ。もう、幸せに必要な便利は、たいがい全部そろっちゃったよ。
と、みんなは気づいてないふりをしている。
あとひとつ発明を望むなら、幸せを直接生み出す機械かもね。
まあ、それを実現するとなるとマトリックスの映画の人間を管理するシステムみたいになるのかもしれないけれど。
それから、あまり穏当な話題じゃないけれど、高齢化問題。
「どんなことをしてでも、1秒でも長く生きたい」
「どんなことをしてでも、1秒でも長く生きさせなければならない」
という考えは、公共の福祉に悖るという意味で、正しくないよ。
生よりも正しい選択肢があることはありうる、と、そろそろみんな認めなきゃ。
きみたちがやってるのは思考停止だ。ジョージ・オーウェル1984年風にいうと、クライムストップ(犯罪中止)ってやつなんだよ。
 
あーかっこわりい。でもみんな騙されたふりして同じこと思ってるんでしょ。
おなかすいた。カレー食ってこよう。