いやな夢を見ることについて。

俺が寝てるときに見るのは、(とくに楽しいことが起こるわけではないにしろ)「もうずっと夢のなかで暮らしていたかったのに」と思うような夢であることがほとんどなんですけど、今日ひさしぶりに夢からさめて「あそこには戻りたくないなあ」とおもうようなやつを見ました。
俺の二度寝三度寝ともあいまって何回も場面は変わったんだけど、ことごとくぜんぶだめでした。
 
夢を見ている人の脳内を調べてみるとどうやら記憶を司るといわれている部位が活発に働いているらしいのですが、
そのことから通説では夢はまだ定着しきっていない記憶を長期記憶に焼き直すはたらきをしているのではないか、といわれているわけです。
そういうわけで、その作業の過程で記憶の断片が再生されたものをストーリーとして解釈したものが夢であるのではないか、と考えるのが現時点では一般的であるようです。
その考え方に従えば、嫌な夢(悪夢ではなく)を見るということはいやなことの記憶を自分に定着する作業を見守っているということである、ということになると思います*1
 
いやなことの記憶っていうのは、はたして残しておくべきなのだろうか、という疑問があります。
たとえば失恋の記憶とか、だれかと仲違いしたとか、なにか挫折したとかだったら、まあいつまででも引きずることはよくないにしろ、それを完全に忘れてしまうこともまたよくないと一般論では言うのだろうし、俺もだいたいそのとおりだと思います。
でもたとえば、もっとすごく細かくてどーでもいいようなこと、すなわちその人やモノに「嫌だなあ」という印象を付加する以外の働きをもたないようなことまでいつまででもずーっと覚えていることっていうのは、
俺としては、ちょっとどーなの、という感想があるわけなのです。
太古の昔から言ってきたことなのですが、俺のなかにはだれかやなにかをなにものであれ嫌いたくない、という意思が(理由とか結果とかをさしおいて)事実として存在するわけで、それに理由をつけるとするならば、状況からして交際することが避けられないような人やモノにイヤな思いを持ち続けることは普段の生活の上でたいへんな負荷になるから、というのが考えられると思います。
善と悪に関しては古代からいろんな議論がなされているようですが、俺個人として個人的なつきあいの範囲の話をするなら、「バカって言うやつがバカ」じゃないですけど、悪意はそれこそが普遍の悪だと思っているわけなのです。
だから自分に悪意のもとのようなものが根付いているシーンをそれに抵抗できない状態で見せられた、ということを厭わしく思うわけなんですよ。
 
まあ、結局今日の朝は寝ても覚めても胸くそ悪いなあ、という感想に落ち着くわけなんですけどさ。

*1:ちなみに分析心理学では、いうなれば記憶の断片をストーリーとして仕立て上げる方法論を無意識の動きとみなし、これを問題にするわけで、夢の中で起きた実際にも起きたことというのはあまり重要視しない傾向があります