脳だって体の一部なので。

感情の理由、というかそのおおもとの原因には、頭のほうから流れ落ちていくものと腹の底から湧き上がってくるものがあって、それがまざったのが普段おれらがよく体験してるいわゆる感情ってやつなんだと思うわけです。
俺を含め世間の人々はカラダとココロを別々に、つまり手や足なんかの部分にくらべて脳のほうを特別視というか神聖視する避けがたいきらいがあると思うのですが、脳だって体の一部なので、たとえば手の触れた感触や目の見た映像や、鼻の吸い込んだ匂いとかのナマの情報が何の抵抗もなくそこに侵入してきていっぱしの感情や思考のようにふるまい始める、というのはすこし注意してみているとけっこう頻繁にあることなのだなあ、というのは最近わかってきたことなんですけど、そういう賊どもと結託して乱痴気騒ぎをおこしたがる不届き者がいるわけです。
その不届き者は日本語で言ってしまえば自分のココロってことにはなるんですが、なにがいいたいかというと、俺たちがふだんこころこころと呼んでいるものには、どこかからいろんな原因が流れ込んでできる、いうなれば場としての部分と、よくわからない動機をもとに傍若無人に跋扈する自律的な部分があるよね、ということなんです。
俺が前から言っている「おれたちがまぜて考えてしまっているまぜてはいけないものシリーズ」です。
そしておれたちはしばしばその自律的な不届き者の工作に悩まされるんですけど、でもそれって結局原因の一部でしかなくて、カラダに対してココロを神聖視するならそれはカラダに属する部分ですよね、と言いたいのです。
真実ってなにか、というお題になると話は散り散りになってしまうことが多いと思うのですが、自分の頭で考えたこととさっき言ったカラダとしてのココロがやりはじめたこと、そしてカラダのほうから忍び込んできた賊の言ってることのどれもがいまいち真実味に欠けるとすれば、結局そいつらが分泌する感情の原因をぜんぶきちんと(もしくは頭から出た分を多めに)まぜたやつが自分のなかのことに限って言えば一番真実に近いと思うのです。
ちがうな。。。。
とにかく、感情のなかにも事実として固定化した領域と、いろんな要因でぐちゃぐちゃになってしまう領域があって、おれは事実のほうだけを信じるぜ、ということなんです。終わり。