愛するってどういうこと?っていうのは正当な質問だと思うんだけどどうすか。

おれは多分愛するって言葉が実際にどのような行為(というか感情?)を表すかっていう正確な意味はまだ知らないと思いあたったわけです。
すごく好きとか愛おしいとかならすごくわかるので、そういうのとはちがうものだとして話を進めます。
たとえば、パソコン。1日の大半をともに過ごしているこのデバイスをおれが愛しているかというと、こたえはNOだと思うわけです。
おれにとってそれは便利で必要でなくてはならないインフラではあるけれど、そういうものでしかない。
それではおれがMacintoshを愛しているかというと、それもNOだと思います。
マックはとても好きだけれど、それは操作性、見た目、信頼性などおれにとって得となる特徴をWindowsに比べて多分に含んでいるソリューション(ハードウェアとソフトウェア、その他のサービスをぜんぶひっくるめた話なのでこう呼びます)だからという理由からで、そこにある種の好意のような者はあっても、愛があるかと言われればそれを否定しなければならないと思うのです。
あるいは音楽ならどうか。音楽は確かにいいセンをいっていると思います。音楽は「すごく好き」では語りきれないし、愛おしいというのとも違うと思う。でもそれだけじゃ弱いと思って、というのは「おれは音楽を愛しています」と言い切るには能動的な要素が足りない気がするのです。俺は音楽がそこにあるから愛でるだけであまり自分から求めにいこうということはやらない気がして、そういうだらーんとした状態を「愛している」状態だとは呼びたくないわけです。
あとは彼女さんの話になるんですけど、それもたぶんNOだと思うわけです。以下おれにとってはの話。
その人のためになにができるのかを考えてはいても、それはたぶん悪い言葉に言い換えてしまえば自分の好きな人に好きなままでいてほしいがためのご機嫌取りなのだろうし、でもそうでなかったら意味の薄い自己完結行為でしかないと思う。一緒にいたいとか手をつなぎたいとかの積極的な欲求も、誰かが言っていたようにぜんぶがセックスの代替行為であるとするのは暴論だとしても(暴論ですよね)、すごく好きであるという気持ちが実際の行為のうえに顕現したものでしかないと言えると思う。だから、大切な異性に対して使われる意味での愛ってものが巷で言われているように慈しんだりとかその他いろいろの高尚で素晴らしい要素をその結果や過程に要求するのなら、それはあるとすればおれがあまねく人々(一部は除く)に対して持っているか、それとも彼女さんに対してさえ持っていないかのどちらかだと思って、せめて前者ならばいいなあと希望するわけなんだけどまあそれはちょっと望み薄ですよね。
 
なんでいきなりこんなことを言いだしたかっていうと……まあいいや。○○をこよなく愛するってフレーズはかっこいいですよね。