ぼくももう22歳になって

さらに7ヶ月が経とうとしているわけで、そろそろ部屋の壁に泣き言を投げつけながら過ごした日々のことは現在と連続しない時間の中の清々しい思い出として扱わなければならないのだなあ、と実感することしきりです。
というか、いじけて見せようとするたびにささやく声がするのです、おまえはおまえを困らせてるそいつをばらばらに分解してやっつける論理ぐらい持ってるだろ、みたいな感じで。
そしてそれはその通りなのでした。お道具箱を開ければその中にはもうきちんとおれ専用の魔界777ツ道具が揃っていて、実際はイビルジャベリンやらイビルストーカーやらなんでも使い放題なわけなんです。

だから、そういう声に諭されて目の前の敵をばりばりと解体してゆくたびに、自分のワガママが認められなかった時と同じ不満な気持ちが残るわけです。何を馬鹿なとか、似つかわしくないとか、そういうことで物事を判断するのはたぶん昔からの傾向だと思うのですが、そこにオトナの賢しさが加わってちょっとよくないことになっていきそうな気がするのです。
僕は変わってしまいました。
うん。それは確かに事実だけど、そんな言い方をするほど悪いことじゃないと思う。
僕は変わりましたと言ってそれが望まない結果なわけではない。まさにこのように変わりたくて、このように変わるべくいろいろのことをおれは遂行してきたははずで、そもそも敵を八つ裂きにしておいてご不満であるというのが問題なのだよね。
まえにおれはココロにも生理的に動く体的な部分と理性的に動く心的な部分があるとここに書いたけど、今日はちょっと逆の表現をします。手足のように自由に動いて実務的処理を断行する体的な部分と、その内側でなにか考えながらいろいろの命令を出す心的な部分があって、ムキムキなからだで意気揚々と敵を倒しにいくんだけど、それだけじゃダメだってこと。
でもなあ。たぶんそのほんとの根っこのとこは治らないよな。あとおれにできることと言ったら、そのヘンな欲求をもどうにかして消化できるようなものごとの処理手順を見つけることなのかも。リアルに最短な解法ではなく、なんやそういういろいろも一緒に解決するような道筋をたどることを覚えないといけないのかもしれない。
そもそも、なにか思い悩んだら仮想敵を作り出してばりばりと弁証法をやっていくというスタイルが現代的じゃないよね。ポストモダンを鼻で笑う時代の考え方じゃない。
もっとインタラクティブ(笑)でオープンソース(笑)で直感的インターフェイス(笑)を持ったやりかたじゃないと。