原罪は雪がれず、ヤハウェは人の子を殺すばかり。

こういう話もあるけれども、最近おれにはどうにもヤハウェが今日の世界の不和の原因だと思えてならないのです。
典型的なのが聖戦という言葉。遥か昔の、よくわからん土着信仰を持つバーバリアンどもに対しての聖戦ならまあ教義的に分からないでもないけど(それでもおれは糞だと思うけど)、典型的な話では十字軍だとか、あといま西洋とか中東で行われてる聖戦はヤハウェの子同士の殺しあいじゃねーのか*1と思うわけなんです。
もちろん、神からの預言をどう運用するかは人間の知性と治世にかかってるので、それを変な方に解釈して過激なことをやりだす奴らを制して正すという意味で、異端者の矯正というのは宗教が自分の形を保つための必然の動きだと思うのですが、
君らの神はそれをお望みか?と聞くとYesという答えが帰ってくるんじゃないかとおれは思っていて、そこでじゃあ君らの神は人を殺すことをお望みなのだな?と聞くと彼らはYesと答えざるをえない事態になってると思うのです。
それから、イスラム教徒のステレオタイプな台詞として「アッラーのお望みのままに」みたいのがあると思うんですけど、やっぱり神は人に言葉を預けてそれで終わり、君臨すれども統治せず、とかいうわけではなくて、きちんとこの世に干渉してその意志を示す性格のものということになっていると思うのです。そうしたら、それこそ億人規模の宗教戦争を止められるのは神ぐらいしかいなくて、というよりはヤハウェは平和なんかには興味ないんじゃないかとおれなんかは訝ってしまうわけなのです。
そもそも「殺してはならない」という預言を受け取っておいてこの有様かと。そしてそれは人の子の愚かで愛すべき罪として片付けるとしても、「殺してはならない」という戒律を与えておいてこのていたらくはなんだと。イスラム教徒が「殺してはならない」のかどうかはちょっとよくわからなかったけど、「人は自由に殺していい」とか思ってる集団は自分たちで殺し合っちゃって絶対に発展しないと思うのでやっぱり人が死んでいいのは法によってしかないというのは共通してるんだと思います。
そしたら法か。「殺してはならない(ただし法によって別途定める場合を除く)」なのか。死に値する罪というのが存在して、それをやってしまった人間を殺すのは人間ではなく法であり神だということなのか。
……となると、中世や近現代においておびただしい数の死人が出たのは、人の罪であると同時にそれを裁くヤハウェの意志であり、彼は聖書に記されるような昔においてだけでなく現在を通って未来に至るまで人の子を殺し続けているやはり裁きの神なのだなあということを思うわけです。
まあ、イザナミも1日千人人を殺すのでべつに神が人を殺すこと自体は間違ってないというか当然のことだとも思うわけなんですが、いま国際社会が黄金の聖三角*2のようにもてはやしている平和ってものがなんら神の(ヤハウェの)祝福を受けるものではないのだなあと思うと、正しい世の中って何なんだろうねというもやもやした気持ちになるなあ、と思うわけなのです。

みなさんはヤハウェを信じますか?

*1:乱暴に言い切ってしまえば、キリスト・ユダヤイスラムの神はすべてヤハウェ

*2:トライフォースと読む。cfゼルダの伝説シリーズ