得るものと失うものについて。

人生には得るものがあれば失うものもあるというのは一般論だけど、おれが今まで生きて来た感じでは、
「それをどうやって得ればいいの?」という悩みよりも「これを失ったけどどうすればいいの?」という葛藤のほうが主観的ウェイトは大きいと思う。
というか、「人生には得るものがあれば失うものもあるのだ」という言葉を覚えていなければ
人生は失うばかりであり、その悲しみにどうやって耐えるかという問題が究極なのではないかとさえ思ってしまうほどだと思う。
そしてそれに対して「所行は無常であるから、一切のものに執着を持たない方がよい」だとか「いまこの手の中にあるものすべてに感謝し、さっき手を離れたものにも感謝をするのだよ」だとかいう思想が生まれてくるほどだと思う。
どうやら、失うという作用は恒常的なものなのだ。
たしかに所行は無常であるし、2音の2文字で言えば「虚仮」なのだ(高校の某世界史教官によると)から、ヒトの主観が見た失うという作用が永続的で留まることを知らず、いろんなものを奪い去ってゆく血も涙もない作用であるということは間違いない。
じゃあ、どうやって人はシアワセになるのか?うろんな客の訪問に対してもっとも強固に耐えられる者がもっとも幸福な者なのだろうか。
こう問いかけたからには、それは違う、とおれは言わなければいけないと思う。
つまりこういうことだ。
「容積がxリットルの風呂釜があります。蛇口Aからは毎分aリットルの割合でお湯が出ますが、風呂釜からは毎分yリットルの割合でお湯が漏れていきます。この風呂釜は何分で満杯になるか答えなさい。」
答えはx/(a−y)分だけれども、a<yの場合は新たに蛇口BだとかCを開くしかない。
つまりそういうことだとおれは思う。