モネとマティスとアカデミー的絵画。

二十世紀の絵画の野獣アンリ・マティスといえば輪郭の檻から色彩を開放したフォーヴィスムの代表選手であります。マティス以前の人々の頭の隅っこにもない*1原色を多用した作風でセンセーションとともに絵画の新時代を開いた彼の作品も、アカデミズムなんてのが庶民の感覚からことごとく消滅してしまった現代では(現代を生きるアカデミズムなんてのの意味も知らない俺には)あまり「一見して衝撃的」とは言われないものになってしまったのではないでしょうか。つまり、キュビスムほどの破壊力はない、と。
ええと、長くなったのですがこれらは全部言葉の無意味な羅列です(何
つまり、古い時代の権威主義的な絵を見て比べてみると、やっぱり光の画家といわれたモネの絵は光にあふれているし、絵画の野獣といわれたマティスの絵では色彩が暴れているなあということがわかるなあ、というわけなんです。
人間は胎児の間に数万年の進化を体験するといいますが、現代の人間は生まれてのちの18年間に思想という面においてソクラテスからニーチェとかひょっとしたらフーコー*2あたりまでの進化をたどるのでしょう。
そしてそれは絵の感覚においてもそうなのだと思うのです。キュビスムまではいかなくてもマティスぐらいの感覚なら代の人々は容易に受け入れることができるので(ただしいわゆるフォーヴ的な感覚に限る。“絵画のジャズ”と呼ばれた晩年期の切り絵とかは十分にインパクトあると俺は思う)、現代において課外授業でマティス展に連れて来られた学生諸君は大挙する有閑マダムに「うっぜえなこのババア共」とつぶやいたり、マティスの自画像をみて「これマティスだってwけっこうイケてない?ww」と友達と笑いあったりするのだろうさ(何

*1:言い過ぎ…でもないのかしら。

*2:ミシェル・フーコー。同性愛者であることに幼少より葛藤を感じ、やがて性、狂気と理性、知と権力などをキーワードに多くの人が目を伏せていた歴史の側面を研究した。当たり前だが光速測定で有名な物理学者のレオン・フーコーではない