罪とか罰とかという考えかたは

捨てるべきなのかしら。
でも、たとえば害なすことを行うということが罪なら俺らは罰によってしかその罪に気づかないし、
気づかなければ延々と害をなしつづけるわけだからそのうち罰をうける可能性はとても高いのだろうし、
でも最終的に罰を受けない可能性だってあるなら、受けなかったケースは罪とは呼べないのかもしれない。
いや、そういうやつには俺が裁きを下す(何
問題は、罪らしきものが目の前にあらわれたとき、それがいつも罪に根ざしているとは限らないということで、
でもそれが罰なら自分を、ただの悪運なら世界を恨むだろうので本質はどっちにしても変わらんのかもしれないなあ。
などと考えて神奈川の片隅からいろいろな物や人に願わくば罰あれと呪う今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか(挨拶