ボクらは記号に欲情する、そしてキミも。

オトコ達には週に何回か(あるいは毎日)自分の性欲に内省的になる数分間ってのがあるじゃないですか。
そのあいだによく思うんですけど、結局おれたちがいまさっきまで持っていた感情(といえるかどうかわからないけど)は、目の前に展開されていたそれに対してじゃなくて、それに対してつけられたいくつかのタグに対して生まれているものなのだなあ、と。
たとえば映像にしろ本にしろ、幼さとか幼女そのものを題材にしたものが大量に出回っているからといって日本人男性がロリコンってわけでもなければ、お年を召した女性を題材にしたものやサービスが広く根を広げてるからマザコンってわけでもないし、暴力的な展開のが好まれるからと言って強姦魔ではないし、妹だからシスコンとか、少年だからホモだとか、ほかにもメイドさんやら白痴やらふたなりやら手からこぼれ落ちる砂つぶぐらいの数のタグが存在するけれどもそれらがいちいち俺たちの脳にきざまれてるわけではないわけじゃないですか。
もちろんガチでロリコンの人もいれば少年しか受け付けない人もいるだろうけど、多くの人たちにとってそれらのタグはあくまで商品札でしかなく、そして大量消費するキャンベルのスープ缶でしかないのだろうなあ、と思うのですよ。
だから世の中の女の人は、男性の部屋を掃除していてそういうものをみつけても深く考えずにただのタグなのだなあと思ったほうが真実に近いことが多いと思います。たまにガチの人もいるけど。。。