モネ大回顧展@国立新美術館


えーと月曜日だから、23日にいってきました。
日本人はモネ大好きなので絶対混むと思って平日の昼間にいったんだけど人が多いのなんの;
慶應は月曜は開校記念日(去年とおととしは土日だった)だったので祝日でさえないから大学生とかもいないだろうと思ってたんですけど甘く見てたわ。。。
まあ、それでもたぶん最悪の混み具合ではなかったのでいちおうきちんと見ることができました。
というわけでクロード・“神”・モネ(何)の回顧展であります。展示の内容は、ゆるい年代順で5つの大きなテーマに分けてモネの仕事を紹介し、それに付随する(こじつける)感じで20世紀以降でモネの方法論との関連が見られる作品を添える、みたいな感じでした。みずから「大」回顧展を名乗るだけあってボリュームたっぷりでした。
はじめのブロックは「近代生活」と題しておもに印象派たちの写実主義クールベの率いた狭義の写実主義)の孫としての側面が表れている作品を集めてありました。「ゴーディベール夫人」とか「揺りかごの中のジャン・モネ」とかはまだ印象主義が始まってない作品であったり、黒人奴隷が舟から降ろしている「石炭の積み降ろし」なんかは写実主義以前には考えられさえもしなかったような画題ってことを思ってみればおもしろさも2割増って感じですよね。
ばかばかしい話だけど、写実主義以前の絵には煙突や工場、鉄道といった近代的なものが描かれてないんだそうで、つまり絵に描かれるべきものを描かれるべきように描く、というのが美徳というか常識というか、ひとつの普遍的な前提だったんでしょうねえ。それでなんかでかい声で叫びながら「描かれるべきもの」を蹴り倒していったのがレアリストたちであり、「描かれるべきよう」を踏み潰していったのがマネやらドガやらの印象派直前の人々で、印象派の人々にはそんなような気合いは遺されてはないんですけど、そのかわり見えるものを見えるように描くっていう姿勢が自然なものとして定着してるんだよってことですかね。
あとはチケットにもなっている「日傘の女性」。おなじモチーフの絵がのどあめのCMに昔使われてた気がするんすけどどうすか(何)。さすがにねぇ、これはよかったですよ。なんていうか、光ですよね。少し色づいた日光が傘で出来た影のなかにもしみこんでく感じ。
次のブロックのタイトルは「印象」です。そこにあるものではなくそこに見えるものを描くのだ、っていうぐらいの意味ですかね。このブロックのなかにさらに3段落ありまして、俺が見た順に「諧調」「光」「色彩」ですね。
「諧調」の部分は、諧調のなかでも曇天の雪景色の中での白の諧調に焦点を当てた作品を何点かおいていました。会場のキャプションによると雪景色というのは当時の一般的な認識として「死んだ自然」であったらしいです。まーモネがそれを初めて描いたわけではないんだろうけど、とにかく「白けりゃいいんでしょ」的ないいかたを彼は許せなかったんですかね。「かささぎ」というでかい作品がすごくよかったです。某さんが昔「絵の中に入る」と言っていたのですが、それを思い出しました。遠景にばーと雪山と平原が広がっていて、その手前に雪の地方みたいな家と生け垣みたいな柵があって、その柵の戸みたいになってるところにカササギがとまってるというやつなんですが、まーほとんど白なのでモネ展の目玉にするには地味っちゃあ地味なんだけど、すごくよかったです。と思って所蔵をみてみたらオルセー美術館でした。さすが、やるなオルセー(何
「光」のところはぶっちゃけあんま覚えてないす。「アルジャントゥイユの小舟」はよかったけど、おばちゃんがお仲間に「見て、人が乗ってるんだわ」と囁いてました。でたァ!おばちゃんの8つの必殺技のひとつ「絵画実況*1」だァーーッ!!(何
最初にちょっと触れたのですが、今回の企画では20世紀以降の別の作家の作品も各ブロックのテーマにすりあわせる形で展示されているのです。ここんとこにはスーラとかのわりと穏健なやつも置いてあったんですが。モーリス・ルイスという人の「ワイン」という作品がありまして、でかいキャンバスに赤色とか茶色とか黒とかのワインっぽい色で下ぶくれな形が描いてあるというものでたぶん絵画が抽象表現主義を通過していわゆるゲージツになってしまったあとのものなんですけど、それに向かっておばちゃんが「うーん、たしかにワインには見えるけどねぇ」。でたァ!おばちゃんの8つの必殺技のうち「視点捏造*2」と「抽象否定*3」が同時に繰り出されたァーーッ!!(何
あとはゴットハルト・グラウブナーという人の「神秘の契約」はむっくりとした感じがおもしろかったです。なんかキャンバスがクッションみたいなまるっこい形をしてるんですが、それに対するおばちゃんのコメントが「ああ、ほら、額がないのよ。」そこか!!あえてそこか!!!(何) まあ、たぶん言いまわしがまずかっただけたったのでしょう、と信じることにします。
さいごは「色彩」です。モネのうちちょっとフォーヴ的なやつが何点か。「モントルグイユ街、1878年パリ万博の祝祭」は冨美*4で資料として紹介されてたやつなので個人的に見れて嬉しかったです。なんかここを見てるとゴッホとかマティスとかに繋がっているのかなあと思って、なんというかふうんと思ってしまいます。とくに「ボルディゲラの別荘」というやつは色のブロックごとに方向があってちょっとゴッホっぽかったかも。
で、ここにも20世紀のやつ。サイ・トゥオンブリーはあいかわらずふざけてるなぁ(「マグダでの10日の待機」)。松本陽子という人の「光は荒野の中に輝いている」は浴衣の模様にすれば綺麗だろうけど、タイトルとかも含めておれの嫌いな戦後日本の匂いがぷんぷんしてもう見てらんない。べつに女性蔑視のつもりはないけど、こういう嫌な匂いのする感性は女性特有だと俺は思ってしまうのです。それにひきかえ李禹煥という人の「風と共に」はよかった。白いでかいキャンバスの下のほうにシルクハットを逆さにしたみたいな物体がある、というのなのですが、うーん。なんかよかった。それからマーク・ロスコの「赤の上の黄褐色と黒」ですね。あんまりじっと見てる人がいなかったんですが、まぁ抽象表現主義ってそんなもんです(何)またロスコルームいきたいなぁ。。。あとはダン・フレヴィンの「無題(レオ、君の為に、長年の敬意と愛を込めて)2」。色蛍光灯をつかったミニマル作品です。うーん。光っていいね。加法混色なところが良い(何)
次のブロックは「構図」です。おれはモネの絵を(というか絵一般を)構図という観点から見たことがあまりないのですごく新鮮でした。ここにも「簡素」「ジャポニズム」「平面的構成」「反射映像」という段落があったのですが、前3つはぶっちゃけ同じなのでだーっといきたいと思います。
ゴッホが浮世絵大好きだったというのは中学の美術の教科書にも載ってると思うのですが、モネもなかなかのジャポニストでありまして、終の住処となるジヴェルニーの家に庭園を造らせるときに太鼓橋をいっしょに作らせて以後執拗にこれを描いたりしてるわけです。そんなわけで、ここには浮世絵にあるらしい「遠景と近景の極端な対比」「俯瞰視点」「平面的な手前、平面的な奥による遠近表現」という特長が顕著に見られる(と、キャプションにはそう書いてあるので)作品が並んでいました。えー、寡聞にして浮世絵の手法はよく知らないのですが、そう言われてみればたしかにそうでした(ミもフタもない)。ただ、「プールヴィルの税関吏の小屋、波立つ海」のばーっと海が広がっている手前にぽっと小屋がある、という感じはなかなか大胆というか、ありきたりでないなという感じ。ここでよかったのは「アンティーブ岬」の盆栽みたいな枝振りのなんかの木と海と遠景の町と空、みたいな感じのやつと、「エトルタの日没」という、日没の海とガケ、みたいな。これは色使いがすごく「印象、日の出」*5っぽかったです。「印象、日の出」見たいなあ。
「反射映像」にいくまえにここの20世紀コーナーを。ここはミニマルの極地というか、ロバート・ライマンという人の「君主」という、真っ白で真四角なキャンバス(かどうかもわからないようなもの)がかざってあるというものとか、それよりはだいぶマシなんだけどフランソワ・モルレという人の「風景─海岸:高潮」「風景─海岸:満潮」という、2枚のキャンバスが重なってちょっと海岸にもみえるかな、という感じのやつがありました。いやー、いくら浮世絵の簡素さの段落であるとはいえこれはこじつけでしょ;
で「反射映像」の段落です。ここでとくによかったのは「アルジャントゥイユのレガッタ」です。水の上に浮かぶ舟と水の下にぶらさがる影。波の凹凸によってきれぎれになったようすをモネはばしっととらえているわけです。それからあとは「セーヌ川の朝、霧」でしょうかね。モネら印象派はそのときその空間に存在する空気を描こうとした、という言い方がありますが、そこにはまさに霧に煙るセーヌ川の朝の空気が閉じ込められていましたというほかないです。うーーん、あとはそんなもんだった気がします。あ、「大運河、ヴェネツィア」はすごい低い視点とはっきりした光の表現がおもしろかった気がします。「黄昏、ヴェネツィア」は反対にすべてもののが夕闇の去りぎわのなかで黄土色にとけていくようす、という感じでした。
ここにも20世紀のが1枚。ブリジット・ライリーという人の「リフレクション1」。ブリジット・ライリーで検索してみればちょっとでてくると思うんですけど、そんな感じです(何)ただ検索でひっかかるのは2色とかで構成されてるのが多いんですが、これはけっこういろんな色が使ってあって、鋭角で区切られた色の面がキラキラと反射しあうようすがまさにリフレクションなのかなあ、という感じですかね。
で、やってきたのは「連作」のブロックです。ルノワールもそうなんですが、彼らは光や空気との蜜月を暮らすうちに、形態というかものの存在感というか、とにかくそういうソリッドなものを軽んじてきた自分たちの手法を振り返って疑問をもち始めます。そしてその疑問に対してのモネにとっての解答こそが連作だったのでした。それは今日では同じモチーフをさまざまな空気のなかで何度も描くことによって対象としたものの存在自体を描き出そうとしたのだ、というふうに解釈されています。えー、たまにこの連作のうちの1枚をぽつんと展示してる企画がありますが、うーん。あんまり腑に落ちないところはあるよね。
モネの連作で一番有名なのは睡蓮だと思いますが、睡蓮は最後のブロックで大特集されているのでここにはなくて、あとのポプラとか積みわらとかルーアン大聖堂とか、あとは俺はよく知らなかったやつも展示されていました。うーん、よかったのはまずポプラのやつとルーアン大聖堂のやつですかね。ルーアン大聖堂のやつは違いのはっきりした2枚だったのでふーんという感じです。
それからサン・ラザール駅に立ちのぼる煙の感じとか、ウォータールー橋のすべてがとけまじった紫の眺めとか。そんなもんですかね。
で、ここにあった20世紀のやつはジョセフ・“ミスター正方形”・アルバースの「正方形へのオマージュ」シリーズが3点とロイ・リキテンシュタインの「ルーアン大聖堂V」(3点対)です。まあ正方形はおいといて(何)、リキテンシュタインのやつは、いつものコミックと同じようなノリでモネの書いたルーアン大聖堂をそれぞれ色違いで3点、という感じでした。これはよかったっす。
やってきました最後のブロック、「睡蓮/庭」です。モネが人生の最後にいきついたジヴェルニーの家の、庭園や池にゆれる睡蓮の連作のブロックです。
ここで睡蓮以外に見るべきなのは「黄色いアイリス」(国立西洋美術館のやつなんだね。そういえば常設展で見たかも……)とか、「日本風太鼓橋」のあたり数枚の赤い色の絵です。黄色いアイリスはふつうにいいです。生命力っていうんですか?モネは植物を風景として描いてもすごいんですけど、静物として扱ってもかなりくるものがあります。マルモッタン美術館展のときに何点かそういう作品がありましたが、そういうものに対する力量も「睡蓮」シリーズのすごさを後押ししてるんですかねぇ。
で、こないだ知ったんですが、赤い色の絵はモネの絵としてはかなり異色というか、もうほとんどなにがかいてあるかわからないぐらいの感じなんですよね。それって、モネが白内障を患ってほとんど見えない時期に描かれたものなのだそうです。うごめくような筆致や燃え上がるような配色や、それからばらばらにほどけた形態とか、そういう一見するとちょっと怖い感じのするものも、それを知ってみてみるとすごみを感じるというか、モネの気合いのホンモノさを感じる気がしますね。
それから睡蓮です。モネの代名詞でもある睡蓮なのですが、年代や状況によってその画面はぜんぜんといっていいほどちがってきます。地中美術館にあったのはけっこう晩期のでかくてやばいやつだったと思いますが、今回の企画では比較的軽めのやつからやばめのやつまでとりそろえてありました。
まあ、全部良いんですが、あえていうなら、出口付近のでかい作品の右側にかざってあった、夕焼けの絵をかいて逆さまにし、そのうえに睡蓮の葉っぱを描いたような絵が個人的にいちばんすごかったです。要は蓮の揺れる水面に映った夕焼けの絵なのですが、水面の世界と空の世界の理不尽とも言える融合といった感じで、とても不思議な作品に仕上がっていました。いちおしです。
蛇足的になりますけど、ここで紹介されていた20世紀やつのなかで気に入ったのをいくつか。まずは堂本尚郎(どうもと「ひさお」さんらしいです)の「蓮池 無意識と意識の間」。白い画面に浮かぶ半透明の紫。蓮という名前がついていてもモネの睡蓮とはだいぶアプローチがちがう気がしますが。。。まあ、こういう表現が許されるようになったっていう意味でも絵画の発展っていうのはすばらしいものだったんだなあという感想です。それからサム・フランシスの「無題」。この人の絵はすぐにわかりますねぇ。どんなスタイルの作品を見てもこう、掴まれるものがありますねえ。そして、ジャクソン・ポロックの「コンポジション No.16」。えーおればぶっちゃけポロックの作品はその制作過程とか意図を知った上でもぜーんぜん理解できなかったんですけど、今回みたやつはチャネリングするとっかかりがある感じがしました。そのへんでよしとしましょっかね。ウィーレム・デクーニングとかを楽しんでみれるようになるにはまだまだ時間がかかるっぽいです。
モネは、風景画家として、印象派の始祖として、なにより絵画に光をもたらし空気をとじこめた画家として広く知られ尊敬されているわけなのですが、この睡蓮のところまできてしまうと、ロスコが対比の中で共存する色面を描き続けたように、あるいはドナルド・ジャッドが金属の箱の繰り返しを作らせ続けたように、それは単なるモチーフという以上に、画家がみずからの表現を全うするために巡りあった、フレキシブルでしっかりした唯一の土台であった、ということなんでしょうかねぇ。。。
とかっこいいことを言ってみたところでシメたいとおもいます。
補足:
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=986に図録からスキャンしたっぽい絵がいくつか載ってるので公式サイトの作品紹介とあわせて見てみると雰囲気が味わえるかもしれません。

*1:絵になにが描いてあるかをそのまま述べる必殺技。美術館おばちゃんの基本中の基本。しかもなんだか偉そう

*2:謎の多い絵に対して画家にはこう見えていたのだとムリヤリ納得する必殺技。フォーヴやキュビスムなどの表現主義絵画に対して繰り出されることが多い

*3:抽象絵画をタイトルからムリヤリ具象絵画のすごい版のようにして見る必殺技。「コンポジション」とかのテキトーなタイトルに対しては思考停止に陥る

*4:冨田君の美術、日吉設置の通年般教。

*5:モネ作の印象派聖典ともいうべき一枚。このタイトルをイジられて彼らは「印象派」と呼ばれた