という俺の「運命」観を読んでもらったうえで。

俺は宿命ってものを信じるのをやめようと思いました。
「人生って、相対的なものなんだよ。」と先輩に言われて俺の友達の女の子はすごく「そうだなあ」と思ったらしいのですが、俺も俺で、自分という絶対者と世界という絶対者の相対する関係から成り立っているという意味でその字面に納得したいと思うわけです*1
一般的に言っておれたちにできることは限られているのでしょうが、その「できること」のうち意味のあることのほとんどは運命に対して行われることなのだと思うわけです。つまり、人生をどう生きるか、ということを具体的にしていくと、運命に対してどんな気合いで相対するか、ということに下りてきてしまうと思うのです。
そしてその気合いに関係する部分に宿命だとか傾向だとかそういう不可避的な言葉を使っちまうことは、自分の気概を必要以上にそぐことであり、一方でときにエネルギーの節約にはなっても他方でときに致命的なロスをまねくことになる。だから、ほんとうに大切なシーンでは宿命とかいう便利な言葉を使うことは自重しなければいけないと思い立ったのです。
運命ってそれほどアマい相手ではないと思うから。

*1:俺はむかし「僕たちはいつだって、世界と、それに従う自己と、その両方を治める自己とを持っていて……」と書いたことがあるのだけれど、話がややこしくなるので今回はそのことはパス。