神様って何者?ほんとうにいるの?

コバヤシくんへのQ&Aシリーズ第二弾。
神さまはいます。ただし、たぶんキリスト教とかイスラム教とか、あるいは幸福の科学とか創価学会とか真光教とかエホバの証人とか生長の家とかが主張している神さまは、全くの嘘か、あるいは神さま本体の部分と言うか化身というか、とにかく本質ではないものなんじゃないかと俺は思います。神さまがイデアだったとしたら、それが現実の世界に形をもったものが彼らの信じている神さまなんだとおれは勝手に思っているわけです。
上のリストに仏教とか神道とかヒンズー教がないのは、ああいう多神教の世界はギリシャ神話とかと同じようなものだと俺は思っているからで、神に分類はされるんだろうけどそれはこの世を上の方から見ている人たちっていう意味であると俺は理解しています。そういうのは、たぶんそれらの神々が作っている体系全体が神さまなのでしょう。
神さまのすごいところは、イデアなのでどんだけでも分身が可能であるというところです。しかもイデア現実界になげかける影ってだけなので、一つクラスがあればインスタンスが無限にできるのと同じでまったく劣化しません。
そういうわけで、現実界の神さまは原理的には60億(たぶん今は65億ぐらいなのかな?)の神になっちゃうことも可能な感じなのだと思います。ただし無宗教とかの人のこともあるので、いまこの世界でアクティベートされているインスタンスとしての神さまはもっと少ないのだろうと思われるんですけど。じゃあそれはいくつぐらいなの?って考えると、うーん、まあたぶん30億は下らないと思います。そんなことを言っていると「なぜこんなに多いのか。キリスト教徒だけでウン十億といるであろうに」と言われると思うのですが、まあ要は神様的存在や神様的体系を信じている人の数だけあると思うのです、神様のインスタンスは。
信仰は伝えられないものであるべきで、なぜならばそれが心の問題であるからです。おれがそう強硬に主張するのは、聖典を記して事実や論理を記録することはできても、それは知識でしかなくて、結局は自分でそれを信仰しようと思うしかないからです。だからそうやってアクティベートされた神様のインスタンスは、キリスト教の作法に則ったものであればその他のキリスト教徒のもつ神さまのインスタンスと同類としてくくることはできても同一のもとして置換することは許されないはずなのです。
つまり、クリスちゃんの信じているキリスト教の神様とジョンくんの信じているキリスト教の神様は、たとえ分派などの細かな条件を一致させても、同じ教会の同じ司祭に同時に授けられた体験による信仰であってもインスタンスとしては違うものであるし、その内部的性質も違うものであるはずなのです。科学的な言い方をすれば、一般には一致しない、というやつです。
と、このへんでパッションがさめてきたので終わりにしますけど、俺にもやっぱり神さまはいて、それは俺がいつも俺の唯一の名前のない神さまと呼んでいるあれなんですけど、そういう意味では神さまに守ってほしい人は自分でインスタンスを作ってしまえばいいと思うのです。神さまが作用として日常生活に顕現する瞬間というのは、そういう目でみていればけっこうあるもので、それは本気になればべつにとくべつなことではないと思うわけなのです。
おしまい。