政治家のレベルは有権者のレベルを超えることはない、というのは真理だと思うわけです。
というのは、鳩山内閣みたいのがでっかい顔をしてるのは、有権者たる日本国民が彼らと同じようなレベルでものを考えているからだと思ったからです。
 
話は変わるけど、そもそもいまのだいたいの日本人にとって諸々の権利は与えられたものなんだよね。
教科書に「人には人権があります」と書いてあるのを読んで「そうなのか」と思うし、CMで「選挙に行きましょう」と言っているから選挙に行く。
でも、政府が人権を保証するのは、それが人という動物に本質的に天賦のものであるからではない。
群衆が押し寄せてきて王の首筋に匕首を突きつけて、「人権を認めろ。さもなければ命はない」と言われたから、それをしないために、憲法として/政府と国民との約束としてしぶしぶ定めてある、というのが本来の形。
そういう意味では、発生したそのままの人には人権なんてない。人権っていう概念は死ぬ気でそれを求める人やその人の仲間になって初めて発明されるものなんだとおれは思って、
今の日本人は「その人」の血を極めて薄められた状態で共有しているだけなんだと思うわけなんです。
 
だから、たとえば外国人参政権法案に対して「憲法15条の規定に反するから認めない」と言うのは、本当の本来を突き詰めるならば的外れであって、
そこになにか言うなら「この国に法があるとすればそれはおれたちである」ぐらいのことを言って、「そんなことはおれたち(有権者であり主権者たる)が許さない」とすごむべきなんだよね。
もちろんこれは原則論の極論だけど、これが主権在民ってことの本来の形なんだと思います。
 
また話は変わります。ナチスは欧米(とくにドイツ)では、ちょっとでも肯定しようもんならすぐにアナフィラキシーショックのごとき反応が返ってくるほど嫌われてるんですけど、
それはナチの台頭→ヒトラー独裁→第二次大戦というあの流れを二度と繰り返すまいという意図のもと、ということになってると思うんですよね。
でも、ナチ→ヒトラー→WWIIというのは忌避すべき図式の具体例のひとつにすぎないのであって、
たとえば反ナチ団体が盛り上がる→政権与党となる→WWIIIというルートがあったりするかも、という意味で、
あまりナチスという名前や、独裁とかいう目を惹きやすい言葉に拘泥しすぎると元の木阿弥ということになってしまうというのはわかると思います。
さっきの例を使えば、反ナチ団体が盛り上がったとしても、そいつらが強大な権利を握る前に
反ナチであるという以外の彼らの主張がよく吟味され、悲惨なことになりそうなやつらだったら適当なところできっちりとその勢いが止まる、というのが正しい国家だと思うわけなんですよね。
 
たぶん、そりゃあそうだろうよと多くの方は思うんだと思います。
WWIでの敗戦をユダヤ人の愚かしさによるものと煽るナチスにでかい権力がわたるのを止められなかった結果、あの当時のドイツがあるわけですから。
でも、先の政権交代選挙はすげーこの図式ににてますよね。
ぶっちゃけ、民主党に投票した人のほとんどは「いまの苦境は自民党せいらしいから」と思ってそうしたと言って間違いないよね。そしてその結果があの圧倒的な議席と現在の日本の迷走となっとるわけです。
あ、いま日本が迷走してるかどうかは諸説あるかもしれないですけど。おれは瞑想説を推しますが。
おれがこないだの選挙の前に「幸福実現党が大躍進しないかなぁ」とかって言ってたのは、あのタイミングで反自民の票が幸福実現党なんていう怪しい政党になだれこんでいたら、さすがにいまの日本が「正しい国家」でないことをだれもが自覚できていただろうと思うからなのです。
でもそれは起こらなかった。
そして、もし仮にいま民主党政権が倒れたら次の選挙ではまた同じことが起こるんだと思うんです。
すなわち、「民主党はやっぱりあかんかった」といって反民主をかかげる匿名の政党Aに票がなだれ込むということが。
なんか凋落した感のある自民がこのAになれるのかというとなれないかもしれなくて、まあぶっちゃけそこはマスコミ各社がどこを向くかにかかってると思うんだけど、とにかく「○○党以外様」と宛名書きされた票がどばーっと氾濫するんだろうと思う訳なんですよ。このままいくとね。
 
で、なんでそんなことが起こってるかっていうと、みんなどこの党かなんてどーでもいいと思ってるから。
よくないことですね。よくないことだってのはべつにだれでも分かるんです。
ところが極端な話をすると、もし公明党が単独で政権をとった場合には創価の人だけに「選挙に行こう」といっておいて、ほかの全国民には「選挙なんか行くな、政治なんてどうでもいい」とアナウンスしたほうが都合がいいわけで、
政治的無関心はよくない、ニュースを見よう、選挙に行こうと国だとか公共教育で言ってくれるうちはまだ平和なんだよね(いまやここでいうニュースにあたるソースは少ないけれど)。
いまでこそ、テレビであそこがいっぱい給付金くれるらしいからあそこに入れようとかいうことになってるけど、
それだとあそこの党の先生はうちでいっぱい公共工事してくれるから応援しよう、とかっていう政治とカネの癒着とやってることはかわらない。利益と票を交換してるという意味で。
そして票は何となら交換していいかというと、それは自分の信念だとか主義主張であるはず。
 
だから、日本はここらで一回回復可能な形でぶっつぶれて、国民みんなが「おお、やばいやばい」と思わないとどーしようもない気がするんですよね。
それこそ幸福実現党が政権とるぐらいの(あるいはそれ以上の)ことがないと。
「革命せよ!」「蜂起せよ!」とは言わないけれど、それは革命だとかクーデターというものも、所詮は一部の人間の意志によって行われるものだから。
そういう意味では、三島由紀夫自衛隊に蜂起を呼びかけるぐらいなら、文部大臣にでもなって国民を総教育すべきだった。
勝手な想像だけど、意志に燃える自分が国民の立場だったから、自衛隊が腑抜けているとは思っても国民が全体として腑抜けかけているとは思わなかったんじゃないかな(これ、全部テキトーな放言です。三島由紀夫に詳しい方ごめんなさい)。
三島由紀夫の名前を出したので保守的な感じになってしまったんだけど、もちろん左翼は滅びろと言ってるわけではなくて、
たとえば個人的には「無防備宣言すれば戦争は無くなる」「死刑廃止はゆずれない」「日本は日本人だけのものではない」とかのこういう意見はめちゃくちゃ気に入らないんだけど、
日本国民全体がガチで「無防備宣言すれば戦争は無くなる」と思っているのだったら、おれはその政策とそれがもたらす結果に殉じることができると思う。
そして誤解を恐れずに言えば、日本国民全体がガチで「徴兵してガチガチに軍備すべき」と思っているのだったら、おれは徴兵もされようし戦いもしよう。
ただ、「よくわかんねーけど5千円くれるらしいよ?」という票をもって無防備宣言やら徴兵やらが行われるなら死んでも死にきれないわけで、右翼でも左翼でも中道でもいいから、王の首につきつけた刃物の名においてまつりごとを行って欲しいわけなんですよ。
 
はあ。でも、そんなことほんとーにできんのかなあ。
もしかしたら、いまさらかもしれないけど、日本って民主主義にはすげーむいてないんじゃないの。実は。