「この場所[This Place]」、「エイジ[Age]」、「オリジン[origin]」

次の部屋は、イサム・ノグチがアースワーク*1に傾倒し始めたころの作品が4点置いてありました。
「この場所」は、軽くすりばち状になった平たい彫刻が床に直置きされてて、ひびが入ってるんだけどよく見るとそのすき間から床が見えるのでいちおうそれぞれの部品は物理的にはばらばらなんですね。
まあこのへんから俺のチャネリング重篤なものになってきていまして、ちょっとそのまま人には晒せないような文章が作品から聞こえてきたわけなんですけど、ちょっと体裁を整えて書けば、

それらは非連続である。と同時に連続である。彼らは非連続なものとして生まれたうえで寄せ集められてここにいるが、彼らはまた連続であるべきものとして生まれたうえでその使命に従ってここに集まった。彼らは部分であり、「個」ではなく「部分」であるという避けがたい宿命(とそれへの抵抗感)と同時に、全体への、ひいては完成された意味への否びがたい意思や欲求とを併せ持ってここにある。

みたいな感じです。
すりばち状という形状を定義するうえで特徴的なのは、いまここからへこみはじめてます!っていう「へり」の部分なのだと俺は思うわけで、ところがそのへりの部分にかかってない、まったくへこんでるだけのパーツがあって、それのアイデンティティーを心配してみたりとか、あとはすりばちの「へり」以外にでっぱりのあるパーツをよくばりだなあとかって思って見てました。
「エイジ」は、基本的に縦長の四角柱であるものをいろいろに削ってあるという作品です。
俺はまずその固まり全体を、時代だとか時間みたいなもののあるひとつのかたまりだと仮定してみることにしました。いろいろに削ってあるというのは、ほんとに色々な手段で削ってあったわけで、横にボーリング(遊戯にあらず)したみたいに半円柱状に何本もあとがあったりとか、ある部分は磨くようにけずられてたりとか、普通にガシーンと削ってあったりとか、まあいろいろだったので、それぞれの部分にそれぞれの表情があったわけです。加えて、その部屋は暗い中にスポットライト的な方向を持った照明が使われていたので、光のある部分とない部分がばっちりと対比されて見せられていたわけです。
つまり、それはある時代やある時間のそれぞれのアスペクトなんじゃなかろうかと。光や影とか、つるつるやガシガシとか、それらを綜合したものを俺らはエイジって呼ぶんじゃなかろうかと。まあいろいろ書いた割にはたいしたことない見解ですけどw
「オリジン」も直置きタイプの彫刻で、こうなにかスライムのようなものがぐぐっともりあがってくるような形状をしています。地面に近い所はざらざらで、上の方はつるつるしてます。部屋の説明のパネルには「地球と一体になったかのような……」って書いてあったんですけど、その地球というのはまあむしろ我々にとっては母なるものであり、宇宙であり、そういった意味ではカオスととらえていいのだと思います。我々人間や生きとし生けるもの、はては山や海でさえ地球から生まれ、ひとつずつの同一性とともに存在しているわけなんですが*2、だから我々や現在の表象としての地球でさえひとつずつの分化の結果であり、ロゴスであるわけなのです。そしておそらくいま地球がカオスに見えないのは、生まれるべきロゴスはすべて生まれてしまったからなのでしょう。
でも、「オリジン」では今になってなお生まれようとする遅れてきたいのちの姿が描かれているように見えました。大地は今や象徴化された母体としての平面と化し、カオスからロゴスが生まれでるまさにその瞬間がもりあがる物体として描かれていると思いました。そして、大地こそがオリジンであり、今生まれたモノこそが、後に繋がるより分化されたモノ達のオリジンである、というわけなのかなあと思いました。
ただ、これは「オリジン」のカタチを上への運動を主にとらえた見方であって、横への運動に注目するともっと別のおもしろいストーリーが出てくるのかもしれません。俺は疲れたのでやめました。
あともういっこ「砥石[Whetstone]」というのがあったんですけど、一カ所だけ盛り上がりのあるのっぺりとした四角い石、って感じであまりに厳しすぎたのであまりわかりませんでした。ずーっと眺めてて、おそらく失われた意味とか全体の、かつては一部だったものだったんだろうなあ、ぐらいにしか思いませんでした。それも自信ないし。
このへんで、俺の集中力はどうやらほとんど底をついていたようです。

*1:http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/a_j/earthwork.html を参照のこと。

*2:その同一性は人間は認識するから生まれるんだ、的なややこしい認識哲学は無視